診断に出てくる質問
「あなたは考えるより前に行動する派ですか?それとも、じっくり考えてから行動する派ですか?」
何らかの診断を利用していると、よくこのような質問が登場する。
あなたはどちらに当てはまるだろうか?
もっとも、時と場所、行動しようとする内容の重要性や種類によって、慎重になるかどうかは変わりうることを考えれば、一義的に答えを出せるわけではない。
自分の仕事における分野であれば、すぐに行動するのかもしれないし、恋愛に関してはいろいろと考えて、行動に起こすことを躊躇してしまう人もいるかもしれないし、その反対の人もいるのかもしれない。
結局どちらが良いのか?
今日はこの違いが実際にどのような変化を生んだのかを検討してみた。軽い検討なので、厳密性は知らない。
経験則
自分の場合、考えるよりも前に行動しても、じっくりと考えてから行動しても、同じくらい失敗してきた気がする。
突然「謎のやる気」が出てきて、「普段の自分ならあまりやらない行動」を見切り発車で開始したときも、すぐに行動できず躊躇してしまい、長く考えてしまってから行動するに至ったときも、同じように失敗してしまう。
それならば、失敗するか否かはさして問題とはなっていない。
言い換えると、行動できずに躊躇しているのは、実際は「失敗しないという目的のため」ではないということだ。
もう一度言い換えると、「考えた」ことによって「失敗しない」という結果を必ずしも導けないということだ。
なぜなら、どれほどじっくり考えたとしても、一定の確率で失敗してしまうから。
問題の所在の転換
これを踏まえると、
「あなたは考えるより前に行動する派ですか?それとも、じっくり考えてから行動する派ですか?」
という質問に現れる2つの場合を隔するのは、「行動の起点が早いから遅れるか」という点のみに収束すると考えられる。
そうであるならば、考えるよりも前に行動した方が良いか、考えてから行動した方が良いかという問題は、「いつ始めるか」という条件を変えることによって結果がどう変わるかという問題に帰着する。
コロンブスの卵
コロンブスの卵という話がある。
コロンブスは大陸発見を達成したとされた。
しかし、周囲の人間は、「大陸の発見なんて誰でもできることだ」とはやし立てる。
そこで、コロンブスは周囲の人間にこう問いかけた。
「君たち、この卵を立てることはできるか?」
「やってみよう」
周囲の人間たちは、卵を立てることを試みる。彼らは卵のバランスを上手くとって卵を立てようとするものの、コロコロと転がってしまい、なかなか立てることができない。
「コロンブスさんよ、こんなの出来っこないぜ」
すると、コロンブスは卵の尻の部分をコツッと割り、実際に立てて見せたのだった。
「そ……そんなズルがまかり通るか!」
「大陸の発見もこれと同じなんだ。西へ船を進めたら誰だって大陸を発見できるかもしれない。でもな、そんな誰でもできそうなことでも、一番最初に考えてやってみることが大切なんだ」
超適当に説明するならば、何事も最初にやった人が偉大であり、それを真似てやる人とはその価値において大きな隔絶があるとする、みたいなことを言いたいときによく引用される話である。
「最初にやった人が一番すごい!なら最初にやろうよ!」って話だ。
初めにやることの希少性
また、市場価値的な側面からも、同様の方向性の結論を導き出せる。
最初に自分が実行した場合は、その行動は希少なものであるから、当然価値は高い。
しかし、自分が行動に起こすことを躊躇してしまったがために、自分がその行動を開始する前に自分と同じことを他の誰かもやり始めてしまうと、その希少価値は著しく損なわれる。
いくら自分が先に考えていたとしても、それはまったく無意味であり、誰にも評価されない。実行が遅れることによっては、損失しか生まれない。
導かれる結論
コロンブスの卵の話から、最初にやった人には先駆者としての大きな価値が認められることがわかる。
また、市場価値的な観点からは、最初にやらないと希少価値を保てないから、最初にやった方が遥かに得だということが認められる。
さて、この問いに対する答えは出たようだ。
「考えるより先に行動した方が良い」
結語
いくら失敗するおそれがあるとしても、考えたことによって、その瑕疵が治癒されることにはならない。いくら考えても失敗するときは失敗する。
考えたことによって確実に失敗をなくせるのであれば別であるが、上記の前提に立つのであれば、躊躇することによって生じるメリットは少ないどころか、デメリットの方が遥かに大きいことの方が多い。
それならば、「とりあえずやってみる」ということを心がけてみても良いのではないだろうか。
*もっとも、メンタル面での刺激を減らすためには「考えてから行動」した方が良いため、とても繊細な方は慎重に行動してみるのも良いですね。
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