タイムトラベルのパラドクス
人類のロマンとはまさに、時間旅行。タイムトラベル。(自分だけ?)
タイムトラベルが論理的に実現可能なのか、それとも不可能なのか?というテーマに関しては、かなり昔から知識人たちによって議論されてきた。
その議論を辿る中で、一際興味深い命題を知るに至ったので、言語化してみる。
親殺しのパラドクス
その命題とは、
『タイムトラベルをした上で、自身の産みの親を殺害できるか?』
というものだ。
「え、そんなこと?普通にできるんじゃないの?」
そう思われるかもしれないが、意外と問題はそう簡単ではない。
タイムトラベルは論理的には不可能?
タイムトラベルは以下のように考えると、論理的に実現しないと思えるのだ。
仮に自身が生まれるより前の時代へ時間旅行し、後に自分を生むはずだった母親を探し当て、殺害に成功したとしよう。
その場合、母はその時点で生涯を終えることになるのだから、後に子を産むことはない。そうなると、自分はもはや生まれないことになる。
自分が生まれないのであれば、ここで1つの矛盾が生じてしまう。
母となるはずだったその人物は一体誰に殺されたのだろうか?
自分?
しかし母がいない以上、自分は生まれることはないはずだ。となると、母は存在するはずのない人物によって殺されたことになる。しかし、「無人による他殺」など意味不明だ。矛盾はなはだしい。
それは論理的な矛盾そのものに他ならないから、そのような事象はおよそ起こりえず、そもそもタイムトラベルは論理的に実現不可能なのだ……
というのが前提となる伝統的な道筋である。背理法のようなプロセスを経た考え方だ。
タイムトラベルは本当に論理的にあり得ないのか?
しかし、本当にタイムトラベルは本当に論理的にあり得ないのだろうか?
先ほどの前提を踏まえた上で、この論理矛盾を瓦解させるアプローチはないだろうか?
あなたもこの問題について考えてみると、良き頭の体操となるのではないだろうか。
背理法的アプローチの抜け穴を探る
以下、特に学問的背景もなく、考えたこと、聞いたことなどを交えて「好き勝手に」綴っていくので、論理的欠陥もあるだろう。「参考程度に」読んでみて欲しい。
①世界線分岐説:無数のパラレルワールド
まず、個人的に最も有力だと思うのが、世界線分岐説だ。
パラレルワールドのようなものを想起すればわかりやすいかもしれない。
自分がもとの世界からタイムトラベルをした場合、その時点で世界は自分がもともといた世界である「世界線α」とそれとは別の「世界線β」の2つに分岐するという考え方だ。
この考え方を前提とした場合、「世界線α」と「世界線β」とは独立して並立する世界という関係に立つことになる。
つまり、「世界線α」で生まれた自分が「世界線β」の母となるはずだった人物を殺したとしても、「世界線β」の自分が生まれなくなるという影響が生ずるにすぎず、「世界線α」の自分が生まれなくなるわけではない。
だから、母となるはずだった人物が、「存在しないはずの人間」に殺される……という最初に述べたような論理矛盾は起こらなくなる。
この考え方は単純明快でかなりわかりやすい。
タイムトラベルの瞬間にそれを原因として世界線が分岐するのか、もともと無数に分岐していた世界線のどれかにタイムトラベルによって自分が移動するだけなのか?
というのも諸説あって面白い問題だが、今回の命題における矛盾を回避するという点のみにおいては、根本的な部分は相違ないように思える。
②世界不可変説:運命は変えられない
別の有力な考え方としては、世界不可変説がある。
要するに、例え過去に行けたとしても、未来は変えられないという考え方だ。遡った過去でどのような行動をしたとしても、確定した事実に世界の動向は収束する。
母親となるはずだった人物に対して殺害を予定した日になぜか自身の体調が極めて悪くなったり、不意の来客が訪れたりする。
仮に凶器を振り下ろすことが出来たとしても、彼女は大手術の末に「奇跡的に」完治してしまう。
こうして、自身の母親となるはずだった人物の「生」という確定した事実に向かって時間は流れていくというのだ。
もっとも、この見解を「厳格に」適用すれば、「生」というやや抽象的な事実よりももっと具体的な事実に収束するとも考えられる。むしろこちらの方が適切のように感じる。
どういうことかというと、自分がもともといた世界の確定した母親の「生」という抽象的な事実以前に、「誰からも殺されかけていない」という比較的具体的な事実があった場合には、その事実に収束するはずだ、ということだ。
だから、母親が死なないのはもちろんのこと、凶器を振りかざされたという事実も生じることはない、と考えるのが自然だ。
したがって、結局のところ、自分は過去に戻ったとしても、母親となるはずだったその人物に対して、何らの影響も与えることが出来ないのではないだろうか。
そして、世界に存在する自分以外の存在は何も母親となるはずだった人物に限られない。
その辺に歩いている人、その辺に咲いている植物、その辺に落ちている石、あらゆるものの存在を考慮した上で、そのすべてについて確定した事実を変えることが出来ない、つまり、そのすべてに対して何らの影響も与えることが出来ないという程度にまで厳格に考えると、ただの傍観者としてのタイムトラベルしかあり得ないことになる。
こう考えると、タイムトラベルは、過去にどんなことがあったのかを知るツールとしてしか機能しないことになる。
(しかし、それでも歴史を解き明かせるという点では非常に有益だと思う)
③世界調和維持説:つじつまが勝手に合う
他にも、世界調和維持説というものもありうるのかもしれない。
過去に戻り、母親となるはずだった人物の殺害に成功したとする。そして、もとの世界に戻ったとする。
すると、タイムトラベルする前には何の前触れもなかったにもかかわらず、実は自分が母親だと思い込んでいた人物は、つまり、これまで自分の母親として生きていた人物は、実は実の母親ではなかったことが明らかになる……
もしくは、
もはやもともといた世界に戻ったら、母親が変わらず存在していた。しかし、それは自分の知る人間ではなく、まったく別の人間にすり替わっていた……
という事例も考えられるかもしれない。
このように、自分がもともといた世界で調和が生じる、つじつまが合うという考え方だ。
世界は、個人のタイムトラベルによって生じてしまった矛盾を解消すべく、事実関係など、世界それ自体の構成要素を作り変えることになる。
たしかに、個人である自分の中には、あの人が母親だったはずなのに……みたいな矛盾が残るのかもしれない。
しかし、世界の矛盾と比べて、個人に生じたにすぎない矛盾はちっぽけなものだ。だからそこは無視されることになる。
もしくは、個人の記憶すらも改竄されるのかもしれない。
【まとめ】「親殺しのパラドクス」を解き明かす見解
他にも様々な見解がありうるが、これまでに紹介した見解をわかりやすくまとめると、以下のようになるはずだ。
まず、タイムトラベルがそもそも可能かどうか?
最初に前提として述べたように、背理法チックな考え方では、矛盾が生じる以上、タイムトラベルは不可能であるとする。
その他の見解は、その矛盾を解消する何らかの説明を施した上で、タイムトラベルを可能と考える。
次に、タイムトラベルが可能だったとしても、過去を変えることができるか?
世界不可変説では、過去を変えることはどうやっても叶わないため、上記の矛盾は生じ得ないとする。
世界線分岐説や、世界調和維持説では、過去を変えうるような影響を及ぼす可能性のある行為であったとしても可能と考える。
そして、過去を変えたとして、もともといた世界に影響が生じるか?
世界線分岐説では、母親となるはずだった人物を殺害した世界と、自分がもともといた世界とは独立した世界であるため、何らの影響も生じない。つまり、もともといた世界の母親は変わらず存命することになる。親殺しという禁忌を犯した自身は、自分の世界に戻ったら何も変わっていないことに落胆するというバッドエンドを迎えるのかもしれない。
世界調和維持説では、もともといた世界に戻れば、殺害したはずの人物との人間関係が変化したり、もしくは、別の人間に代替されることにより、矛盾が回避されることになる。
どうだろうか?
なかなか興味深い問題だから、手持ち無沙汰なときに深く考えてみると頭が鍛えられるかもしれない。
コメント